2008年11月5日水曜日

第五夜

 こんな夢を見た。
 何でもよほど古い事で、神代《かみよ》に近い昔と思われるが、自分が軍《いくさ》をして運悪く敗北《まけ》たために、生擒《いけどり》になって、敵の大将の前に引き据《す》えられた。
 その頃の人はみんな背が高かった。そうして、みんな長い髯を生《は》やしていた。革の帯を締《し》めて、それへ棒のような剣《つるぎ》を釣るしていた。弓は藤蔓《ふじづる》の太いのをそのまま用いたように見えた。漆《うるし》も塗ってなければ磨《みが》きもかけてない。極《きわ》めて素樸《そぼく》なものであった。
 敵の大将は、弓の真中を右の手で握って、その弓を草の上へ突いて、酒甕《さかがめ》を伏せたようなものの上に腰をかけていた。その顔を見ると、鼻の上で、左右の眉《まゆ》が太く接続《つなが》っている。その頃|髪剃《かみそり》と云うものは無論なかった。
 自分は虜《とりこ》だから、腰をかける訳に行かない。草の上に胡坐《あぐら》をかいていた。足には大きな藁沓《わらぐつ》を穿《は》いていた。この時代の藁沓は深いものであった。立つと膝頭《ひざがしら》まで来た。その端《はし》の所は藁《わら》を少し編残《あみのこ》して、房のように下げて、歩くとばらばら動くようにして、飾りとしていた。
 大将は篝火《かがりび》で自分の顔を見て、死ぬか生きるかと聞いた。これはその頃の習慣で、捕虜《とりこ》にはだれでも一応はこう聞いたものである。生きると答えると降参した意味で、死ぬと云うと屈服《くっぷく》しないと云う事になる。自分は一言《ひとこと》死ぬと答えた。大将は草の上に突いていた弓を向うへ抛《な》げて、腰に釣るした棒のような剣《けん》をするりと抜きかけた。それへ風に靡《なび》いた篝火《かがりび》が横から吹きつけた。自分は右の手を楓《かえで》のように開いて、掌《たなごころ》を大将の方へ向けて、眼の上へ差し上げた。待てと云う相図である。大将は太い剣をかちゃりと鞘《さや》に収めた。
 その頃でも恋はあった。自分は死ぬ前に一目思う女に逢《あ》いたいと云った。大将は夜が開けて鶏《とり》が鳴くまでなら待つと云った。鶏が鳴くまでに女をここへ呼ばなければならない。鶏が鳴いても女が来なければ、自分は逢わずに殺されてしまう。
 大将は腰をかけたまま、篝火を眺めている。自分は大きな藁沓《わらぐつ》を組み合わしたまま、草の上で女を待っている。夜はだんだん更《ふ》ける。
 時々篝火が崩《くず》れる音がする。崩れるたびに狼狽《うろた》えたように焔《ほのお》が大将になだれかかる。真黒な眉《まゆ》の下で、大将の眼がぴかぴかと光っている。すると誰やら来て、新しい枝をたくさん火の中へ抛《な》げ込《こ》んで行く。しばらくすると、火がぱちぱちと鳴る。暗闇《くらやみ》を弾《はじ》き返《かえ》すような勇ましい音であった。
 この時女は、裏の楢《なら》の木に繋《つな》いである、白い馬を引き出した。鬣《たてがみ》を三度|撫《な》でて高い背にひらりと飛び乗った。鞍《くら》もない鐙《あぶみ》もない裸馬《はだかうま》であった。長く白い足で、太腹《ふとばら》を蹴《け》ると、馬はいっさんに駆《か》け出した。誰かが篝りを継《つ》ぎ足《た》したので、遠くの空が薄明るく見える。馬はこの明るいものを目懸《めが》けて闇の中を飛んで来る。鼻から火の柱のような息を二本出して飛んで来る。それでも女は細い足でしきりなしに馬の腹を蹴《け》っている。馬は蹄《ひづめ》の音が宙で鳴るほど早く飛んで来る。女の髪は吹流しのように闇《やみ》の中に尾を曳《ひ》いた。それでもまだ篝《かがり》のある所まで来られない。
 すると真闇《まっくら》な道の傍《はた》で、たちまちこけこっこうという鶏の声がした。女は身を空様《そらざま》に、両手に握った手綱《たづな》をうんと控《ひか》えた。馬は前足の蹄《ひづめ》を堅い岩の上に発矢《はっし》と刻《きざ》み込んだ。
 こけこっこうと鶏《にわとり》がまた一声《ひとこえ》鳴いた。
 女はあっと云って、緊《し》めた手綱を一度に緩《ゆる》めた。馬は諸膝《もろひざ》を折る。乗った人と共に真向《まとも》へ前へのめった。岩の下は深い淵《ふち》であった。
 蹄の跡《あと》はいまだに岩の上に残っている。鶏の鳴く真似《まね》をしたものは天探女《あまのじゃく》である。この蹄の痕《あと》の岩に刻みつけられている間、天探女は自分の敵《かたき》である。

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